モンゴル抑留死亡者名簿

『モンゴル抑留 見捨てられた死者たち』(角川新書)を出版

 大きなお知らせです。610日、角川新書より『モンゴル抑留 見捨てられた死者たち』を出版します

 以下が、KADOKAWAのオフィシャルサイトに掲載されている本の紹介ページです。https://www.kadokawa.co.jp/product/322509000947/

 シベリアであろうと、モンゴルであろうと、人の命の重みは変わってはならないはずです。しかし、モンゴルで亡くなった1700人の死亡者は、国家にも国民にも忘れ去られたまま、歴史の空白の中に置き去りにされてきました。

 2025年7月の天皇皇后両陛下のモンゴル公式訪問で、やっと犠牲者たちに光が当たるのか、私ばかりでなく、遺族も期待を込めました。

 しかし、新聞やテレビが注目したのは、皇室の戦争犠牲者への慰霊の旅でした。なぜ、ソ連だけでなく、モンゴルに日本人が抑留されなければならなかったのか、という「モンゴル抑留」の本質に焦点が当たることはありませんでした。

 「これでは、私の父親は浮かばれない」という遺族の声を聞きました。「知ってしまった者の務め」として、私が1700人の死の「真実と背景」を歴史に刻まなければならない、と思ったのが、この書を書くきっかけになりました。

 原稿を執筆している間、何度も涙がぼろぼろ、あふれてきて、筆が止まりました。新聞社の社会部記者として、どんな悲惨な現場でも感情を動かさないよう、自らを律する訓練ができていたはずでした。

 しかし、食べ物も水も零下30度を超える極寒をしのぐ衣服も寝具も何もない「絶望の国」での、過酷な重労働にあらがうこともできず、斃れていった抑留者たちの理不尽な運命を前に、私のそんな訓練など簡単に突き崩されてしまったのです。

 一方、そうした抑留者たちを救うべき母国はあまりにも冷淡でした。戦後の日本政府は、ソ連に対しては、抑留者の帰還を必死で交渉します。1956年10月、訪ソした首相の鳩山一郎が日ソ共同宣言を調印。北方領土問題を棚上げにする代わりに、ソ連に残留されていた千数百人の長期抑留者たちの帰還を実現させます。

 しかし、モンゴルに対しては、独立国家として承認しておらず、「戦争の相手国ではなかった」という外交的な立場を一貫して取り続け、残留抑留者の帰還を直接、モンゴル政府に交渉することは一切ありませんでした。

 死亡者の身元特定についても、ソ連領内の抑留者が最優先で、モンゴルでの抑留者は常に後回しにされました。

 私が2017年10月にモンゴル国防省中央公文書館に日本政府が手にしていない新たな死亡記録があることを情報提供して、厚生労働省が翌2018年6月に職員を派遣するまで、戦後、一回たりとも現地の公文書館へ記録の調査に職員が出向いていません。「モンゴル抑留軽視」の姿勢を如実に表しています。

 その結果、毎年度の新規の身元特定者は「ゼロ」が長年にわたって続いていたのです。

 モンゴルが第2次世界大戦末期の対日参戦の見返りに、ソ連から日本人捕虜1万4000人をもらい受け、国際法違反の「敗戦国日本からの労働力徴用」を正当化させる心理的土壌をつくった発端は、1939年5月に勃発したノモンハン事件でした。

 満洲国と、1924年11月、ソ連に続く2番目の社会主義国家として独立を宣言したモンゴル人民共和国との国境線をめぐり、日本・満洲国軍とソ連・モンゴル合同軍が軍事衝突。双方から2万人前後の死傷者を出し、モンゴルでは「ハルハ河戦争」と呼ばれます。

戦闘現場で日本軍を迎え撃つモンゴル人民革命軍の兵士たち(1939年9月、ヴィクトル・テミン撮影、ロシア国立映画写真記録アーカイブ所蔵)

 この戦争からモンゴルの受けた痛みと恨みが、6年後、ソ連からの要請で、「モンゴル民族は日本の侵略政策のために苦しみを被ってきた。全国民がこの聖戦に参加せよ!」というモンゴル政府の声明のもとに、日本に宣戦布告。ひいては、「モンゴル抑留」につながっていくのです。

 ノモンハン事件に関しては、日本国内でも多くの先行文献があります。でも、大半はこの戦闘を「日ソの激突」ととらえ、日本軍とソ連軍のどちらが勝利したのか、戦闘を詳細に分析したものや、「なぜ日本軍は無謀な作戦をとったのか」と関東軍の暴走に焦点を当てたものです。

 私のように、「モンゴル抑留」のきっかけは何だったのか、逆算して、この戦争をモンゴル側がどういう思いで戦ったのか、戦後にどんな影響を受けたのか、モンゴル側から見たものは見当たりませんでした。

 ノモンハン事件を例にとりましたが、その後、現在に至るまでの日本とモンゴルとの間に起きた2度の戦争を通じた「負の歴史」に真正面から向き合った研究や報道はありませんでした。

 私は、「モンゴル抑留」の歴史を本に刻むなら、タブーを恐れずに、たとえ、「パンドラの箱」であっても開けなければ、1700人の「見捨てられた死者たち」に申し開きできないと覚悟を決めました。

 モンゴルや日本の公文書館などから入手してきた3600ページにのぼる資料をひっくり返し、10年間にわたってモンゴルからの帰還者や犠牲者、生還者の遺族から聞き取りした証言や、手記など100冊近い文献を基に、「道なき道」を進んで、たどり着いた結論を書いたのが、『モンゴル抑留 見捨てられた死者たち』です。

 願わくは、多くの人が本を手にし、私と共に、あるページでは涙し、あるページでは日本政府、モンゴル政府のありように義憤を感じていただきたいのです。

 この本が書店の奥の書棚に眠り、いつしか消え去れば、「見捨てられた死者たち」は見捨てられたままなのです。残念ながら……。

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