モンゴル抑留死亡者名簿

5年ぶりにモンゴルに再調査へ

 5月27日から6月13日まで、モンゴルへ5年ぶりに再調査に赴くことにしました。

 私が死亡記録を持っている抑留者は、モンゴルで抑留中に命を落とした死亡者の総数約1700人の2割強です。ホームページの死亡者名簿が完全なものとなることを目指し、モンゴルの公文書館など関係先で、新たな死亡記録を捜し出してくることが最大の目的です。

 連日、関係先へモンゴル語や英語のレターをメールで送って、今まで開示されていない抑留資料も含めて、開示してもらうよう、調整を続けています。

 もう一つ、ウランバートル以外、北部と南部の日本人墓地5か所にも足を伸ばし、周辺の収容所や病院、日本人抑留者が労働に従事させられていた場所も視察してくるつもりです。

 モンゴルには計16か所の日本人墓地があります。私は、2020年1月に3か所の日本人墓地を見ており、今度の訪問での視察地を合わせると、半分の8か所を訪問したことになります。現場に足を踏み入れることにより、日本人抑留者たちが置かれた環境を肌で感じ取ってきたいと思っています。

 もう一つ、ウランバートル以外、北部と南部の日本人墓地5か所にも足を伸ばし、周辺の収容所や病院、日本人抑留者が労働に従事させられていた場所も視察してくるつもりです。

 モンゴルには計16か所の日本人墓地があります。私は、2020年1月に3か所の日本人墓地を見ており、今度の訪問での視察地を合わせると、半分の8か所を訪問したことになります。現場に足を踏み入れることにより、日本人抑留者たちが置かれた環境を肌で感じ取ってきたいと思っています。

 同時に、高齢でもうモンゴルに行けない遺族に代わって、追悼の祈りをささげます。実際、1人の死亡者の遺族からは「自分の代わりにお参りしてきてください。お願いします」と思いを託されました。

 こういう調査、視察では、現地で通訳をしてもらう方の能力や協力姿勢が鍵を握ります。私が今回、お願いしたのは、アイリスツアーズの女性社長、ニンジン・ギリヤセドさん(写真)です。

 昨年11月、ウランバートル郊外の石切場跡の抑留資料館「さくらメモリアルミュージアム」館長のウルジートクドホさんに同行して来日された際、お目にかかりました。ニンジンさんは、ウルジ―さんに雇用されて同行してきたのでなく、経営する旅行代理店の仕事を度外視して、自費で来られていたのでした。

 ニンジンさんの御父様はモンゴルのラジオ放送局に勤めており、演歌など日本の文化を好きだったといいます。まだモンゴルがソ連の傘下にあった社会主義体制の時代です。

 「日本のスパイだ」との密告があり、御父様は2か月にわたって拘留され、尋問されたそうです。結果的には無罪となり、疑いが晴れたものの、この件はニンジンさんの人生にも影響を与えました。

 ニンジンさんは御父様の影響で、日本語を独学で学びました。軍医として12か所の収容所、病院を転々とした抑留者で、帰国後はモンゴル会の会長に就いた春日行雄さんがモンゴルに来訪した際、通訳を務めました。

 春日さんといえば、モンゴル抑留中死亡者の調査も進め、モンゴル抑留では必ず、その名前に当たる方なのですが、信頼を得たニンジンさんは、春日さんから資料も預かっているのだそうです。

 この人ならば、と思い、通訳兼コーディネーターをお願いしました。ニンジンさんの協力を得て、何とかモンゴルで成果を得てきたいと思っています。

上部へスクロール