モンゴル抑留死亡者名簿

モンゴル訪問中の6月10日、海外初の講演会 

 再調査で赴くモンゴル滞在中の6月10日(火)、在モンゴル日本人会の原田紀会長(HISモンゴル事務所長)からの要請を受け、18時から20時までウランバートル中心部にあるモンゴル日本センターで、モンゴル抑留に関する講演を行います。 

 拙著『命の嘆願書』の出版以来、札幌、東京、京都、大阪、福岡で講演活動を行い、この講演会は15回目になるのですが、もちろん、海外での講演は初めてになります。

 演題は、「戦後80年 天皇、皇后両陛下の公式訪問を前に『知ってほしいモンゴル抑留の真実』」。

 この機会に、モンゴルに住む日本人の方々に、モンゴルでの日本人の抑留とは、そもそも、どういう経緯から起き、実態はどうであったのか、をできるだけ、わかりやすく説明させていただこうと思っています。

 モンゴルの人たちにも広く伝えたいため、来場していただけるかどうか、はわかりませんが、日本人会からモンゴルの報道機関に講演会を案内してもらうことになっています。

 在モンゴル日本人会に私を推薦していただいたのは、モンゴルにもう20年以上もお住まいになっている元国営モンツァメ通信社記者の近彩さん(写真左)でした。

 今度、モンゴルで待望の初対面を果たすのですが、拙著をいち早く、購入され、まわりの方にも勧められた強力な応援者のおひとりです。 

  そんな近さんからのオファーでしたが、最初、私はお断りしようかとも思っていました。

 今回のモンゴル訪問は、戦後80年になっても明らかになっていない日本人抑留者の死亡記録の新たな発掘と、私がまだ足を踏み入れていない日本人墓地や収容所跡地の現地視察が目的です。

  講演会が開かれる当日も、石切場跡のゲルの抑留資料館館長のウルジ―トグトホさん(写真右)に案内していただき、ウランバートル市内の抑留に関係のある場所を回ることになっています。

 公共交通機関が乏しく、極端な車社会のウランバートルというところは、特に夕方になると渋滞がひどく、車がピタッと動かなくなります。講演会を引き受けて、講師が遅刻するわけにはいきませんが、視察のスケジュール次第では、その可能性が大いにあるわけです。

  でも、途中で考えが変わりました。「モンゴル抑留の真実」を話すことができるのは、自分しかいないと、己の役割を認識したからです。

 いまだ機密資料になっている日本人抑留者の死亡記録が開示されるかどうか。それは、日本とモンゴルの友好の深度こそが実現の鍵を握っている、と私は強く思っています。

 また、現在のモンゴル国が北東アジアでは屈指の親日国となったのも、抑留された日本人たちが今も首都に建つ建物の建築に従事した働きぶりに、モンゴルの人たちが日本人の見方を変えたのが、その原点でした。

 そうした歴史の重みを私は講演会で、お話するつもりです。近彩さんのご尽力で、モンゴル大統領府直轄の国営モンツァメ社通信のオンライン日本語版に講演会のお知らせが515日、アップされました。

 以下がそのURLです。

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