日本記者クラブの主催で、6月19日(木)14時から15時30分まで、東京・内幸町の日本プレスセンターで、「モンゴル抑留」に関して、スピーチ60分+質疑30分の実質、ほぼ講演並みの記者会見を行います。
7月前半、天皇、皇后両陛下が即位後、3か国目の訪問国として、モンゴルを公式訪問され、ウランバートル郊外の日本人抑留者慰霊碑へ追悼の祈りをささげられることが検討されています。
上皇陛下が戦後60年にサイパン、戦後70年にパラオと、南方の戦争犠牲者を弔われたのに対して、戦後80年は天皇として初めて北方の戦争犠牲者を悼む日ができ、ご訪問を機に、歴史に埋もれてきた「モンゴル抑留」にもやっと光が当たるのではないか、とモンゴル抑留体験者や犠牲者のご遺族から期待の声が出ています。
一方で、シベリア抑留とは異なり、一体、なぜ、日本人はソ連だけではなく、モンゴルに抑留されたのか、なぜ、モンゴルではソ連より死亡率が高かったのか、など「モンゴル抑留」の背景や実情を知る報道関係者はほとんど誰もいないと言っても過言ではありません。日本記者クラブ企画委員会で、両陛下ご訪問前の私の記者会見が決定したということです。
私からのお願いで、日本記者クラブからは、宮内庁、外務省、厚生労働省の関係記者クラブのほか、日本外国人特派員協会にも案内が出されることになっています。日本記者クラブ加盟社であれば、オンラインでの出席も可能ですので、まずはできるだけ多くの参加者があるよう、祈っています。
私のモンゴルでの再調査からの帰国は6月13日です。成田から日付変更線を超える直前に北海道の自宅に戻って、パワポ(写真は、予定している表紙)とレジュメをまとめて、実質4日後の記者会見前日の6月18日、上京するわけですから、綱渡りのスケジュールになります。

私の今回のモンゴルへの旅の最大の目的は、戦後80年、日本政府にも届いていない、新たな抑留者の死亡記録を手にすることです。国家機密扱いになっている資料です。交渉中の現段階では、入手のめどは立っていません。
しかし、戦後80年になっても、肉親の死の真相が遺族にわからない状況はどうなのでしょうか。あなた方、モンゴルの人たちがそういう目に遭っていたとしたら、その国の政府にせめて、記録を出してくれませんか、と要望するのではないですか。
私はご遺族の気持ちを代弁して、モンゴル側にそう訴えてくるつもりです。そして、実現すれば、モンゴル政府の人道的措置として、私は記者会見で、日本人を代表して感謝の気持ちを表明するつもりです。
日本記者クラブといえば、全国の新聞社、放送局、通信社が加盟、日本国内で最も権威のある記者クラブです。国政選挙における党首討論会や、来日した国家元首やノーベル平和賞受賞者らの記者会見を主催したことで知られています。
こんな記者会見の機会は2度とないでしょう。私は、モンゴル抑留に関して、日本政府が取り組むべき課題で締めくくるつもりです。モンゴルで抑留中に亡くなったのは約1700人ですが、厚生労働省によりこれまでに身元が特定されたのは1522人です。
戦後80年と言えば、母親のおなかの中にいた子どもですら、80歳を越えます。残りの死亡者の身元特定に時間はありません。
モンゴルで死亡者が埋葬された16か所の日本人墓地の中には、荒れはててしまった場所もあります。日本国民だけでなく、モンゴルの人たちの間にも、「モンゴル抑留」をどう伝えていくのか、という課題もあります。
天皇、皇后両陛下のご訪問を機に、そうした課題を一歩でも前進させる力を持った報道が増えるよう、私は全力を尽くして、日本記者クラブでの記者会見に臨むつもりです。